2012年07月31日

「教会福音讃美歌」発行

先週の金曜日、大学はこの春学期の授業を終えました。今日から試験・補講期間となります。明日はオルガンの試験。履修生30名、今日は良く寝て明日は直前に弾き過ぎず、そして普段、音楽へ向き合う同じ仕方で試験を迎えて下さい。。。と、ついここに書いてしまったのは、私のゼミ生がこのブログを定期チェックしていることを知ったためでした。。。

私の手元には、同じく金曜日に「教会福音讃美歌」が到着しました。福音讃美歌協会・正会員教派の諸教会にはそろそろ届き、キリスト教書店の書棚にも早ければ今週並ぶと思われます。長年の祈りと取り組みの実がこのような形となったこと、まず心から感謝します。正会員教派教会にとっては、自らが当事者として作った讃美歌集になりますね。これを使い、歌い、育てていきましょう。そのことは今この瞬間からこの讃美歌集の見直しが始まるということでもあります。当事者として関わった正会員教派、そして様々な形で支援・賛助下さった諸教会と皆様に、そして、そして、、この讃美歌集のために讃美歌曲を提供し、著作権の許諾等を下さった諸教派・諸教会に心から感謝します。個人的なことを言わせて頂くならば、私は日本基督教団讃美歌委員会の先生方とは繋がりが深く、もう何年も前から講習会講師としてご一緒し、定期的に研究会もしてるのですね。讃美歌集に関しては先駆者の日本基督教団の先生方の背中に勇気づけられてきたのです。

「教会福音讃美歌」の発行への感謝、まずこの讃美歌集を手にし、歌うことで表しましょう!。

「教会福音讃美歌」発行後のこれからは、福音讃美歌協会はまず、この讃美歌集を教会が使い、これを通して教会が礼拝を捧げるためのサポート、実際に「教会福音讃美歌」を使うためのツールやセミナーを継続的に行っていきます。具体的には、秋の特別公開講座「教会福音讃美歌」セミナー(10/17-19、札幌)、「教会福音讃美歌」を歌う夕べ(10/19、札幌)、お茶の水聖書学院での第3回「教会福音讃美歌」発行記念セミナー(10/27)、奉献礼拝(11/12)等などの準備をしていますが、それらと併せ行っている別の作業は「対照表」の作成です。

今現在使用している讃美歌集から「教会福音讃美歌」収録曲を対照するツール、すなわち「聖歌番号→教会福音讃美歌番号対照表」や「讃美歌21番号→教会福音讃美歌番号対照表」と言ったものです。なんだ簡単と思われがちですが、対照する讃美歌曲は、二つの歌集の間だけのことではありません。「聖歌」「讃美歌」「讃美歌21」「教会福音讃美歌」と同じ曲が交錯する場合があります。まず「教会福音讃美歌」を手にとって最初にこれを開き使うためのツールとして準備しています。もう一つは讃美歌曲の音源MIDIファイル。これは楽譜を作成したFinaleデータから生成したもので全506曲中の2/3は準備済、今後全曲をデータ化します。勿論人間の“アナログ”な賛美の声ではなく電信音ですが「どんな曲かな」を知るための最初のツールとして、有用であると思います。

そのような訳で「対照表」と「MIDI音源」は福音讃美歌協会HPにアップロードの予定です。著作権が福音讃美歌協会の管理下にない曲等は掲載できませんので、それらのチェック作業にも今しばらく時間がかかりますがお待ち下さい。アップロードしましたら、このブログでも告知致します(このHPとBlogは植木個人のものでので福音讃美歌協会を代弁するものではありませんが)。

勿論、巻末の「作詞者索引」「作曲者索引」「曲名(TUNE)索引」「原詞諸行索引」「初行・くり返し索引」を駆使して、見つけることはできますが、歌詞が変わっているものに関しては「初行・くり返し索引」以外の索引でないと見つけられませんね(506曲中、約300曲は他の出典讃美歌集の歌詞のまま、約150曲は改訳、約50曲は新紹介曲と新曲です)。現状で、どの曲に歌詞変更がなくどの曲にあるのかは、既にいのちのことば社HPにアップロードされている
収録曲リストをご覧ください。助けになると思います。

という訳で「対照表」「MIDI音源」今しばらくお待ちください。

近況報告な日記も書こうと思いつつ、暑さに翻弄されていました。パイプオルガンのことも調査・契約・設置等に至るプロセスやそれぞれのアプローチについて連載(!?)したい、、と考えています。でもしばらくは「教会福音讃美歌」の話題が多くなるかな。既に色々質問を頂いている最近です。牧師先生、音楽奉仕者の皆さん、質問大歓迎ですので何でも疑問点、気になること等あればご連絡下さい。メールはこちらへ。

かんとーる@うえき
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2012年07月26日

歌うことの本質!?

今日は「賛美歌学」の授業の最終日でした。週2コマの4単位授業。昨年度までが月・木にそれぞれ1コマづつだったのを、今年から木曜に2コマ連続(=180分)での初めての学期でした。今日は最後の「小テストNo.4」と「まとめ」。年によって「まとめ」は様々ですが、今年は「テゼ共同体」の話でまとめとなりました。

「賛美歌学」とは何を扱うのか?この日本語の「賛美歌(讃美歌)」という呼称、19世紀幕末の再開国以来定着した訳語であると思いますが、良訳であると同時に誤解も生む訳かも知れません。「賛美歌学」とはどう定義し得るのか、どこまでの範囲を扱う分野なのか?単に「賛美」と「歌」という二つの概念の合体というだけではアプローチは成立しません。狭義に捉える場合でも、教会で歌う歌の内容は「賛美」だけではないですね。「感謝」「信仰告白」などなどもろもろ。。「賛美歌」はその内容が重要ポイントなのはわかるけれども、とするとこの良訳「賛美歌」は必ずしもその「内容」だけでその範囲を規定しているのではなさそうです。

今となっては、既に過去の事になりました私の留学(1993-2000)当初、私自身この「賛美歌」という用語を探した記憶がありますが、ドイツ語で、日本語の「賛美歌」に意味合い的に相当する包括概念は見当たらなかった、というのを覚えています。ドイツ語では(と言うことは教会史的・音楽史的に・・)、教会の歌を包括する概念は「会衆歌」または「教会歌」でした。

教会の歌に関する日本語の概念は、日本におけるキリスト教と歌との2つの異なる出会いを念頭に、言い換えて定着しているようです。すなわち16Cのイエズス会宣教師によるカトリック・ラテン語聖歌のそれ、そして19C、アメリカからを中心とするプロテスタントの賛美歌です。それらの最大の違いは「歌う主体」の違い、つまり前者は・聖職者、修道士、少年聖歌隊なのに対し、後者は会衆という訳です。「グレゴリオ聖歌」を「グレゴリオ賛美歌」とは言わないことを想うと、そろそろこの「賛美歌」という概念の意味合いがわかってきますね。そう「会衆が歌う歌」が賛美歌学の範囲、というのが基本。ですから必然的に「賛美歌学」は16世紀の宗教改革以降、「会衆が歌う」営みが再生されて以降、展開した分野という訳です。

何か、、書きたいことが少々遠回りになって来たようです。

自分はプロテスタントの信者で、ライフワークは「今日に生きる会衆歌と会衆歌唱」に取り組むこと。。。とこのHPのプロフィールにも書いています。教会が主体となって取り組む課題に参与する、というの私のスタンス。プロテスタントの賛美歌は宗教改革以降、試行錯誤を繰り返してきたと思います。統一の典礼、というのがカトリックのあり方の基本であるとすれば、プロテスタントの歌は本当に多様な展開を見せてきました。それを問い続ける目を教会が養い続けていく必要があります。

ただ、これら賛美歌の多様なあり方に向き合っている中で、ふと思うことがあるのですね。歌う本質は何かなって。「賛美歌学」の授業で言えば初めの頃、旧約聖書にみられる会衆の歌う営み、初代教会における賛美の在り様を思うのです。2000年のキリスト教の歴史を見るならば、会衆が歌った「歌詞」は今私たちが知るような、神学的に吟味され深く多くの内容を包容したものというより、より簡素、単純で、短く限定されたものだったようです。

 「全ての民が、『アーメン』と言え。ハレルヤ。」(詩篇106:48)
 リフレイン「慈しみはとこしえに」(詩篇136)....

迫害下にあった初代教会時代は、更に音楽活動そのものが限定されていたようですし、当時の音楽を知る具体的なソースは少ない。その代わりに(?)と言っては何ですが、新約聖書には、歌う者の「あり方」に対する問いかけが見受けられるます。

  詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。(エペソ5:19)

「賛美歌学」すなわち「会衆歌(教会歌)の意義を解明する営み」は、何やら綿密なアナリーゼ作業(?)のようにも聞こえがちですが、歌うことの本質とは、このような歌う者のあり方において、最も重要な事柄だと思わされるのです。そしてそれが「賛美歌学」の出発点の一つでもあるように思います。それを具体的に「テゼ共同体の歌」に感じるのですね。

より単純な歌、共有するための言葉の選択、言葉の繰り返し、穏やかな音楽、、歌うことによる祈り。。テゼの讃美歌を歌うたび、ここが出発点かも、と思うのです。ちょっと違う言い方してみましょうか。。。讃美歌を、眉間にしわを寄せてではなく、穏やかな心で、共に歌いたいという求めが自分の中にもあるのです。

「讃美歌21」の26,38,42-1,43-1,46,47,48,49,89,112,331に、「教会福音讃美歌」にも223,273,290,291の4曲が収録されています。歌ってみて下さい。。

讃美歌のこと、讃美歌集のこと等、具体的な課題への教会の取り組みに関わっていきます。
だからこそ、歌うその時には「分析」はやめて、心から歌いましょう。

かんとーる@うえき
posted by かんとーる@うえき at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 授業から

2012年07月18日

パイプオルガン導入事始め

6/7に「楽器を育てる」と題して書きましたが、今回はより実際的な話。パイプオルガン導入の最初の一歩「礼拝堂とオルガン」についてです。

教会でのパイプオルガン導入、、今まで何度か相談を受けてきました。それぞれにそれぞれの事情やタイミングがあり様々でした。教会で何年もかけてビジョンを積み上げ、オルガン献金を行ってきた教会。または、会堂建築と共にオルガン献金をしているが、電子オルガンでなくパイプオルガンについても調査してみたい、というところから始めた教会もありました。

最初の一歩は、どんなきっかけでも良いと思うのです。気をつけて頂きたいことがあるとすれば、「パイプオルガンでなければいけない」「パイプオルガンが礼拝に最もふさわしい楽器」というアプローチを止めることでしょう。聖書に「最も良い楽器」など書かれていません。「どの楽器がふさわしいか」ということは目的・文化・文脈等において問い続けていく課題であり、まして楽器に優劣をつけるようなことはマイナスです。「楽器を育てる」視点、「教会に与えられた楽器」が出発点だと思います。

今日はより具体的なこと。特に礼拝堂との関係において、どのようにパイプオルガン導入へのプロセスを進めるかについて、私が経験した3つの例から「パイプオルガン導入事始め」について考えてみます。

私がこれまでパイプオルガンの導入に関わったのは3度、最初は自分の所属教会である朝顔教会ででした。会堂の新築や改築はテーマとしてなく、オルガンの老朽化という状況で楽器の買い替えの必要からのことでした。パイプオルガンの設置場所として、それまでとは違う礼拝堂正面右側を可能性の一つとして議論はしましたが、最終的にはそれまでと同じ中央に設置する方向に落ち着きました。会堂の年数等、楽器や教会音楽というテーマだけでなく、教会のより大きな時間スパンでの歩みを見据え、会堂については将来のビジョンに委ねる必要があるとの判断からでした。オルガンが礼拝堂正面中央に設置、というのは確かにベストではありません。正面中央、というのは人が自然に視線と想いを向ける方向です。ですから教会建築の歴史では、中央に聖餐卓や聖書を置いてきました。この場合は、しかしそこから議論はできません。中央に設置されたオルガンのケースを伽藍のようにデザインすることによって、会衆の想いが"パイプ"にいかずに落ち着くことができたと思います。

2度目は勤務先の桜美林大学。チャペルを新築するにあたっての新しいパイプオルガンの導入でした。オルガン選定に入る前、チャペルの設計図は既にできていました。幸いなことに、オルガン設置場所の裏にモーターやふいごを設置するための機械室が既に設計されていました(中には、モーターやふいごもオルガンケースの中に一緒に入れる、というこだわりを持つオルガンビルダーもいるかも知れませんが。)。オルガンの設置場所は中央から聖壇に向かって、右斜め前方上方のギャラリー上に設計されていました。右というのは理にかなっています。オーケストラではポジティフオルガンは通層低音グループのチェロ、コントラバスの近くで右側。2階ギャラリーはオ−ケストラからは遠いですが、年に1,2度のそのようなコンサートより、普段の礼拝に優先順位を向けるということ。礼拝以外の大学の催し等をも考慮に入れるならば、ギャラリー後方の"会衆歌唱応援型"設置とすると、用途がある意味限られる。教育機関として絶妙な設置場所だったと言えるかも知れません

3度目は札幌のK教会。K教会は長年パイプオルガンへのビジョンを語り、祈り、捧げて来られた教会です。会堂の設計とオルガンを並行して行うことができました。ですから、オルガン設置場所も、議論の上で会堂を設計した訳です。パイプオルガンは正面に向かって後方の2階ギャラリー中央の後ろの壁に設置されました。前か後ろか、ビジョンの優先順位によって考えることができます。少し単純化過ぎるかも知れませんが、宣教→コンサート→パイプオルガン前方設置、礼拝→会衆歌唱伴奏→パイプオルガン後方ギャラリー上など。勿論その双方を上手にコーディネートする教会設計もあり得ると思います。

実際的、物理的な要件の話ではあります。しかしだからこそ、ビジョンを語り共有するプロセスを経ることは重要です。大きなビジョン(礼拝、宣教etc)を見据えつつ、具体的ビジョン(会衆歌唱、演奏レパートリー規模)を語り、それを礼拝堂という空間とすり合わせていく。会堂建築と並行して進めることができるとすればそれはベスト。礼拝堂は現状という条件下でならそのように。しかし老朽化した(?)壁素材などと、一部調整できる余地もあったりして。

それぞれの特有の条件下であっても、「礼拝堂とオルガン」を"3次元の目"で考えられると次のステップが見えてくるかも知れません。

でも、具体的な話になればなるほど、大きなビジョンの中のどこに自分達がいるかを確認しつつ進めるように。

かんとーる@うえき
posted by かんとーる@うえき at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記