2012年11月08日

「主よ人の望みの喜びよ」

あまりにも有名になった讃美歌のタイトル「主の人の望みの喜びよ」。元のコラールはMartin Jan(1620-1682)による19 節からなる讃美歌"Jesu, meiner Seelen Wonne"から取られています。少々日本語訳がぎこちないのは、翻訳された時代や文脈もさることながら、原語のドイツ語からではなくこの讃美歌の英語訳"Jesu, The Joy of Man's Desire"に基づいているからです。日本の讃美歌集では、讃美歌第二編228番に『こころに主イエスを』として、また間奏等を除いた歌の部分だけでは、教会福音讃美歌29番『主こそわが望み』として収録されています。

さてこのコラール、8分の9拍子の3連音メロディーで始まる"あの音楽"で皆さんご存知でしょう。J.S.バッハのカンタータ147番「心と口と行いと生活をもて」に挿入されている"3連音テーマ"のその曲が、私達が普段「主よ人の望みの喜びよ」として知るものです。3連音テーマに続いてゆっくりとした音価で挿入されるのが讃美歌部分です。合唱に始まり10曲で構成されるこのカンタータには、2度このコラールが挿入されますが、そこではJanオリジナルの19節にも及ぶ讃美歌の第6節と第17節が挿入されています。

バッハのカンタータが奏され響いた"位置"は礼拝です。バッハ時代のライプチヒ市ルター派教会の礼拝では通常、礼拝前半の聖書朗読(福音書)の後、カンタータが奏され、説教へと続きました。長めの2部制カンタータは、それぞれ説教の前後に奏されました。"奏された"と敢えて"音楽的"に書きましたが、その内容を見ると、教会暦による各日曜礼拝の主題を解き明かし説教へと向かわせる役割を担っていたことがわかります。

カンタータ147番「心と口と行いと生活をもて」はライプチヒにおいて1723年7月2日、教会暦「マリヤ訪問の祝日」の日曜礼拝で初めて演奏されました。天使ガブリエルにより聖霊によって身籠ったことを知り、神を賛美したマリアが、既に年を重ねた後に洗礼者ヨハネを身籠ったエリサベトを訪問することを記念する日です。内容はマニフィカート(マリアの賛歌)が軸になっています。「神への賛美を歌うマリアを祝福し、主がマリアになされたことを語る。しかしそれを認めようとしない頑なな人間の心への忠告(2.レチタティーヴォ)」がその後の楽曲による語りかけの起点になっています。順序が逆になりましたが、冒頭の合唱「心と口と行いと生活をもて、キリストのため証言せよ。怖れず、偽らず、キリストこそ神であり救い主であることを(1.合唱)」は、まさに当時の礼拝の会衆を、聖書(福音書)朗読から説教を聞くことに向わせる明確な問いかけとして響いたことでしょう。

歌うことと聞くことは、ある意味連続していることです。続けて「救い主を告白することを恥じるな(3.アリア/アルト)」と魂に深く語りかけ、さらに激しく「しかし、その御腕はたとえ地が揺れようとも、むしろ悩める者を救って下さる(4.レチタティーヴォ/バス)」と語ります。それに押し出されるように「イエスよ、今もなお道を備えて下さい(9.アリア/ソプラノ)」との祈りがおこされる。。それぞれの歌の歌詞は問いかけであったり祈りであったり、全会衆を包む詞であり、時には真っ直ぐ個人の想いを歌うものであったり劇的です。教会カンタータが楽曲としては劇を伴わないオペラの焼き直しであることを感じれるでしょう。当時の人々の耳には、音楽を通しての壮大なドラマ、いや説教として響いたであろうことが想像できます。

しかしそれは聴くドラマに留まらないのです。そのソプラノの祈りに続いてこの讃美歌「イエスがいる私は幸い。イエスを離すまい。この心が張り裂けようとも(6.コラール/合唱)」が歌われます。会衆達の心に迫った問いかけに続き、讃美歌が響く。讃美歌とは、普段は聖歌隊に歌って貰う歌ではなく会衆が自ら歌う歌です。「イエスがいる私は幸い」と聖歌隊の歌が響く時、そこに会衆は自らが神に歌った歌を想起したことでしょう。普段一生懸命長い節を歌っていたのとはまた別のこととして。バッハは、カンタータ冒頭からの問いかけに応答すべき歌として、この19節からなる壮大な讃美歌の第6節を選びました。すなわちそれまでの問いかけに「応える歌」としての会衆の告白が歌われるのです。

教会カンタータを聴くことは、そのドラマに身を置くことです。私達は当時の会衆ではありませんが、この一連の音楽における語りのドラマに身を委ねる時、演奏者と聴く者が心を一つにすることができると信じます。またそのような音楽そのものが、演奏者と聴く者の想いを、自分自身にではなく神に向けさせてくれると思うのです。

明後日11/10(土)、このカンタータとマニフィカートを桜美林大学オラトリオプロジェクト2012コンサートにおいて演奏致します。お越し頂ける皆さまには、是非このドラマに身を委ねて頂ければと思います。

私自身このカンタータが問いかけることを、演奏者でありつつしかし会衆(聴衆)の一人として自らの心に響かせたいと思います。そしてこのコラールを演奏する時、それを自らの告白として歌いたいと思うのです。

かんとーる@うえき
posted by かんとーる@うえき at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記