2013年03月04日

ドイツよりお久しぶり

ブログとても間が空いてしました。かれこれ「11月のバッハ」以来となってしまい申し訳ありません。秋学期も終わりバタバタとしておりましたが、先週一週間実はドイツにいました。昨日で予定を全て終了し、今日本へのフライトを前にパソコンに向かっているところです。

大学に許可を頂き、多方面(特に家族!)の理解を得、日常から1週間程離れドイツに来ました。訪ねたのはマインツ大学ドレスデン聖十字架教会合唱団です。直接的には16〜17世紀の古い合唱譜等とその営みを知るための文献調査が目的でした。マインツではマインツ大学賛美歌学研究所 というところに数日籠っていました(研究所と訳すことを先方に了解頂いていますが、正式には「学際的讃美歌集研究グループ」+「讃美歌集アルヒーフ」の合体版)。数日なんて一瞬の出来事。もっと籠っていたい・・と思いつつ後にしました。ここの研究所、ドイツ語圏の賛美歌学研究では随一として知られるところです。ドイツ語圏の古い讃美歌集の収集と保管もしています。私の、楽譜の探し物の目的は一応達せられましたが、それを探す過程で、興味深い色々な資料にも出会いました。

「ヴォルフガング・ムスクルスの日記(1536年)」。ムスクルスはルター時代のアウグスブルクの牧師、その日記にルターの礼拝を訪ねた時の様子が書き記されていますが、礼拝式順に従い事細かに、何をどう行っていたかを記述しているのです。「またオルガンが演奏され、すると合唱が単声で Victime pascali laudes を歌った。それに続いて会衆がChrist ist erstandenを歌った。するとすぐに牧師が会衆の方へ向き直り、福音書ヨハネ16:5-15をドイツ語で朗読した。・・・」。私は目を鱗のようにして読みました。この時代としては稀で貴重な資料です。ルターが礼拝がどのように改革したかは、礼拝式順である程度わかりますが、実際にその礼拝をどのように生きていたか、という実際的なことを知る資料は非常に少ない。当時の人々にとっての礼拝とは何だったのか?初めて自国語で歌う会衆歌唱はどのように営まれていたのか?・・疑問と興味が更に噴き出てきました。まず帰りの飛行機の中でもう少し読み進めます。。。

もう一つの発見は「ハンブルクメロディー讃美歌集(1604年)」。この実物を手に取った時は感動的でした。実は私の授業のレジュメにもこの讃美歌集のこと載せています。歴史的にこの讃美歌集の意義を自分も知っている、すわわち「会衆歌唱をオルガン伴奏で行った」ことの証拠が歴史上初めて確認されるのが、この讃美歌集の序文なのです。

マインツを出た後は週末ドレスデンに行きました。訪ねたのはドレスデン聖十字架教会合唱団カントールのローデリヒ・クライレ氏。この合唱団は2年に一度日本に演奏旅行に来ますね。つい昨年末も来て、桜美林大学音楽専修で推薦し学生が何人か演奏会に行きました。この合唱団、ライプツィヒトーマス教会合唱団と並び、ドイツで最も古い少年聖歌隊として知られています(1300年頃から活動)。ハインリヒ・シュッツゆかりの教会でもあります。で、実はこの合唱団の練習施設を訪ねた日は、合唱団に入団しようとする3年生が初めて訪ねるオープンデーの日でした。副指揮者の方がレッスンをするのを少し見させて頂いた後、クライレ氏と二人で色々話し込みました。私が16-17世紀の楽譜等調査の関連で何故ドレスデンかと言うと、シュッツ時代の礼拝の実態、そしてその伝統の線上にあるこの教会での課題等に興味があったからです。「17世紀当時の会衆歌唱の営みと合唱の関係。その実態は? シュッツ時代の礼拝の実際等の資料は?」などと言う私の直球にクライレ氏もうなっていました(笑)。「確かに資料が少ないですよね」と頷きながら、私のテ−マに興味を持って下さり色々とアドバイスを頂きました。日曜日にはそのザクセンの礼拝式で、生き生きとした会衆と合唱の歌唱に背中を押され感謝しました。

そんなこんなでドレスデンを後にしましたが、この合唱団の歴史を調べることで出てくることがあるかも。。と気付いた次第。リサーチはまだまだこれからです。

ブログでお分かちしてきたように、2005年から昨年までは、讃美歌集編纂に時間とエネルギーが必要な7年間でした。現在を生きる教会と会衆の課題として、礼拝の在り様を問い続けながら讃美歌を問う。讃美歌集発行のその瞬間から見直しの作業が始まっている訳で、その作業が一段落したという訳ではありません。しかし讃美歌集発行は、やはりどこかで一段落のタイミングであったことも事実。自分自身少し立ち止まり、これからもっと現実的な課題に向き合っていかなければならない。だからこそ基礎研究の積み上げの必要性を覚えると共に、まだまだ解明されていない多くのことがある中で自分に問われている課題は何だろう、と考えていたのです。

11月以来の「教会音楽な日々」個々のテ−マは、、としては、教会福音讃美歌奉献礼拝、メサイア、ゼミ生の発表テーマ、札幌再び(!?)などなど。。また書きます。特に「奉献礼拝」に関しては、裏方の音楽的コーディネートの話をどこかでお分かちすべき、と思っています。

という訳で、まもなくあと3時間程で出発し帰り日常に戻ります。

かんとーる@うえき
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2012年11月08日

「主よ人の望みの喜びよ」

あまりにも有名になった讃美歌のタイトル「主の人の望みの喜びよ」。元のコラールはMartin Jan(1620-1682)による19 節からなる讃美歌"Jesu, meiner Seelen Wonne"から取られています。少々日本語訳がぎこちないのは、翻訳された時代や文脈もさることながら、原語のドイツ語からではなくこの讃美歌の英語訳"Jesu, The Joy of Man's Desire"に基づいているからです。日本の讃美歌集では、讃美歌第二編228番に『こころに主イエスを』として、また間奏等を除いた歌の部分だけでは、教会福音讃美歌29番『主こそわが望み』として収録されています。

さてこのコラール、8分の9拍子の3連音メロディーで始まる"あの音楽"で皆さんご存知でしょう。J.S.バッハのカンタータ147番「心と口と行いと生活をもて」に挿入されている"3連音テーマ"のその曲が、私達が普段「主よ人の望みの喜びよ」として知るものです。3連音テーマに続いてゆっくりとした音価で挿入されるのが讃美歌部分です。合唱に始まり10曲で構成されるこのカンタータには、2度このコラールが挿入されますが、そこではJanオリジナルの19節にも及ぶ讃美歌の第6節と第17節が挿入されています。

バッハのカンタータが奏され響いた"位置"は礼拝です。バッハ時代のライプチヒ市ルター派教会の礼拝では通常、礼拝前半の聖書朗読(福音書)の後、カンタータが奏され、説教へと続きました。長めの2部制カンタータは、それぞれ説教の前後に奏されました。"奏された"と敢えて"音楽的"に書きましたが、その内容を見ると、教会暦による各日曜礼拝の主題を解き明かし説教へと向かわせる役割を担っていたことがわかります。

カンタータ147番「心と口と行いと生活をもて」はライプチヒにおいて1723年7月2日、教会暦「マリヤ訪問の祝日」の日曜礼拝で初めて演奏されました。天使ガブリエルにより聖霊によって身籠ったことを知り、神を賛美したマリアが、既に年を重ねた後に洗礼者ヨハネを身籠ったエリサベトを訪問することを記念する日です。内容はマニフィカート(マリアの賛歌)が軸になっています。「神への賛美を歌うマリアを祝福し、主がマリアになされたことを語る。しかしそれを認めようとしない頑なな人間の心への忠告(2.レチタティーヴォ)」がその後の楽曲による語りかけの起点になっています。順序が逆になりましたが、冒頭の合唱「心と口と行いと生活をもて、キリストのため証言せよ。怖れず、偽らず、キリストこそ神であり救い主であることを(1.合唱)」は、まさに当時の礼拝の会衆を、聖書(福音書)朗読から説教を聞くことに向わせる明確な問いかけとして響いたことでしょう。

歌うことと聞くことは、ある意味連続していることです。続けて「救い主を告白することを恥じるな(3.アリア/アルト)」と魂に深く語りかけ、さらに激しく「しかし、その御腕はたとえ地が揺れようとも、むしろ悩める者を救って下さる(4.レチタティーヴォ/バス)」と語ります。それに押し出されるように「イエスよ、今もなお道を備えて下さい(9.アリア/ソプラノ)」との祈りがおこされる。。それぞれの歌の歌詞は問いかけであったり祈りであったり、全会衆を包む詞であり、時には真っ直ぐ個人の想いを歌うものであったり劇的です。教会カンタータが楽曲としては劇を伴わないオペラの焼き直しであることを感じれるでしょう。当時の人々の耳には、音楽を通しての壮大なドラマ、いや説教として響いたであろうことが想像できます。

しかしそれは聴くドラマに留まらないのです。そのソプラノの祈りに続いてこの讃美歌「イエスがいる私は幸い。イエスを離すまい。この心が張り裂けようとも(6.コラール/合唱)」が歌われます。会衆達の心に迫った問いかけに続き、讃美歌が響く。讃美歌とは、普段は聖歌隊に歌って貰う歌ではなく会衆が自ら歌う歌です。「イエスがいる私は幸い」と聖歌隊の歌が響く時、そこに会衆は自らが神に歌った歌を想起したことでしょう。普段一生懸命長い節を歌っていたのとはまた別のこととして。バッハは、カンタータ冒頭からの問いかけに応答すべき歌として、この19節からなる壮大な讃美歌の第6節を選びました。すなわちそれまでの問いかけに「応える歌」としての会衆の告白が歌われるのです。

教会カンタータを聴くことは、そのドラマに身を置くことです。私達は当時の会衆ではありませんが、この一連の音楽における語りのドラマに身を委ねる時、演奏者と聴く者が心を一つにすることができると信じます。またそのような音楽そのものが、演奏者と聴く者の想いを、自分自身にではなく神に向けさせてくれると思うのです。

明後日11/10(土)、このカンタータとマニフィカートを桜美林大学オラトリオプロジェクト2012コンサートにおいて演奏致します。お越し頂ける皆さまには、是非このドラマに身を委ねて頂ければと思います。

私自身このカンタータが問いかけることを、演奏者でありつつしかし会衆(聴衆)の一人として自らの心に響かせたいと思います。そしてこのコラールを演奏する時、それを自らの告白として歌いたいと思うのです。

かんとーる@うえき
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2012年10月24日

「教会福音讃美歌」を歌う夕べ in 札幌

先週10/17(水)から19(金)まで『教会福音讃美歌』出版記念セミナー『教会福音讃美歌』を歌う夕べに、下川羊和牧師と共に講師としてお招き頂き、札幌におりました。

北海道聖書学院主催『教会福音讃美歌』出版記念セミナーには、聖書学院生、地域の教会教職の先生方、音楽奉仕をされている信徒の方など40名強の方々が集われました。計9回のセッションでは、福音讃美歌協会の成り立ち、『教会福音讃美歌』の神学・構成等を紹介しつつ、新しい歌や改訳した歌等多くの讃美歌を歌いました。讃美歌における著作権の問題、讃美歌の歌う方法、用い方の再考なども扱いました。『教会福音讃美歌』発行直後のこの時期、この讃美歌集について共に理解を深める良い機会となり感謝な時でした。

『教会福音讃美歌』を歌う夕べは、札幌希望の丘教会を会場に行われました。会には札幌近隣の福音讃美歌協会正会員教派(イムマヌエル総合伝道団、日本同盟基督教団、日本福音キリスト教会連合)教会を中心に260名程の方々が集いました。讃美歌はそれら3教派の有志教会が各教会毎に歌ったり、3教派合同の教職者、聖書学院生、宣教師、子供など、様々なグループが会衆を先導して下さいました。楽器もピアノ、リードオルガン、パイプオルガン、バンド(ギター、ベース、ドラム、キーボード)、トランペット、フルート、ヴァイオリン、チェロ・・と多様。それらがそれぞれであったり重なりあったりでした。

「主よ人の望みの喜びよ」で知られるバッハ編曲の3拍子の讃美歌29番「主こそわが望み」を会場教会である札幌希望の丘教会聖歌隊が歌い会は始まりました。会の様子は下川羊和先生がYoutubeにいくつかアップロードして下さっていますのでそのうちのいくつかを見て頂けます。

  220番「主のみわざとみ恵みとを」合同教職者婦人会、会衆。
  49番「すべての人の主」子供、会衆。
  359番「私の望みは主イエスだけにある」独唱。
  11番「つきぬ喜びを注がれる主よ」会衆。
  486番「月日を治める主イエス」教職者、会衆。

など。少し様子を感じて頂けると思います。『教会福音讃美歌』を歌う夕べプログラムはこちらでご覧ください。教会の規模様々、賜物様々、音楽様々。しかし同時にそれらが重なり合う時があり、教会が神の前に一つの声で歌う。そのことを、理念やスローガンを越え実際に共に経験できた時間でした。

私自身は札幌との接点は2004年からですので早9年。S教会よりお招きを頂き教会音楽講習のため毎年来札しています。今思うとそのきっかけはやはり讃美歌のことだったのですね。当時私の所属教派JECA(日本福音キリスト教会連合)で讃美歌に関する議論が始まり、福音讃美歌協会の設立準備が始まった頃でした。

来年の大学の「賛美歌学」講義には、今回のこと含めいろいろと還元したいと思い今からイメージしています。このブログを読んで頂いている諸地区の諸教会においても、このような「歌う会」心からお勧めします。

札幌の諸教会、北海道聖書学院に心から感謝致します。

かんとーる@うえき
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2012年08月31日

残暑見舞い

3週間ぶりの書き込みとなってしまいました。今日は日記的に近況報告します。

暑い暑い夏、前回書き込み(8/6)の頃はまだ大学の成績付けをしていたのですね。成績報告を終え大学の研究室に散乱する(!?)レジュメ・プリント類の整理をしました(ゼミ生手伝いありがとう!)。植木の研究室はこのところ、知る人ぞ知る「らしくない状態」(お察しください)。数年来の大片付けを始めたところなのです。

その後は中旬ゆっくりし、3日間ほどは本当に何もしない日を過ごしました。そしてその後すぐにキリスト教音楽講習会!。4日間のプログラム、植木は聖歌隊実技クラスで合唱指導法・指揮法・運営等、とS先生と共に「新しい賛美歌ゼミ」を担当。聖歌隊実技クラスには、既に私のクラスのリピーター(!?)の受講生の方もおられるのですが、そろそろ活字等にまとめなくてはいけないな、と思った次第です。この講習会でこれまでに私が担当してきた内容をまとめれば良いのですが、計画立てなければですね。「新しい讃美歌ゼミ」ではS先生の讃美歌21以前の頃のお話に、日本キリスト教団讃美歌委員会の取り組みに改めて敬意を抱いた次第です。一日目の「夕べの祈り」の小礼拝では先唱者をしたり、、、。この期間中にブログを書こうと考えていたのですが、講習会プログラムがあまりの濃厚さ故(1日11時間絶え間なく・・)、ブログを書くところまで来ませんでした。

さて講習会最終日は、講習会終えその足で大学へ。バッハのカンタータ147番とマニフィカート ニ長調に取り組んでいる、大学のオラトリオプロジェクト。休み明けの練習開始日でした。

このブログを書いているのはその練習から既に一週間たった金曜日。さて、大学も始動します。『教会福音讃美歌』について、様々な方面からお声を頂いています。私の所属教会では9/16(日)に礼拝での使用を始める(切り替える)ため、牧師、副牧師と私で準備中です。OBIでの「教会福音讃美歌」発行記念セミナーは既に2度開催しましたが、『教会福音讃美歌』の発行が間に合わなかったため、第3回目を10/27(土)に開催することとなりました。

そんなこんなの8月でした。個々のテーマに絞り、近いうちにまた書き込みます。

残暑お見舞い申し上げます!

かんとーる@うえき
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2012年07月18日

パイプオルガン導入事始め

6/7に「楽器を育てる」と題して書きましたが、今回はより実際的な話。パイプオルガン導入の最初の一歩「礼拝堂とオルガン」についてです。

教会でのパイプオルガン導入、、今まで何度か相談を受けてきました。それぞれにそれぞれの事情やタイミングがあり様々でした。教会で何年もかけてビジョンを積み上げ、オルガン献金を行ってきた教会。または、会堂建築と共にオルガン献金をしているが、電子オルガンでなくパイプオルガンについても調査してみたい、というところから始めた教会もありました。

最初の一歩は、どんなきっかけでも良いと思うのです。気をつけて頂きたいことがあるとすれば、「パイプオルガンでなければいけない」「パイプオルガンが礼拝に最もふさわしい楽器」というアプローチを止めることでしょう。聖書に「最も良い楽器」など書かれていません。「どの楽器がふさわしいか」ということは目的・文化・文脈等において問い続けていく課題であり、まして楽器に優劣をつけるようなことはマイナスです。「楽器を育てる」視点、「教会に与えられた楽器」が出発点だと思います。

今日はより具体的なこと。特に礼拝堂との関係において、どのようにパイプオルガン導入へのプロセスを進めるかについて、私が経験した3つの例から「パイプオルガン導入事始め」について考えてみます。

私がこれまでパイプオルガンの導入に関わったのは3度、最初は自分の所属教会である朝顔教会ででした。会堂の新築や改築はテーマとしてなく、オルガンの老朽化という状況で楽器の買い替えの必要からのことでした。パイプオルガンの設置場所として、それまでとは違う礼拝堂正面右側を可能性の一つとして議論はしましたが、最終的にはそれまでと同じ中央に設置する方向に落ち着きました。会堂の年数等、楽器や教会音楽というテーマだけでなく、教会のより大きな時間スパンでの歩みを見据え、会堂については将来のビジョンに委ねる必要があるとの判断からでした。オルガンが礼拝堂正面中央に設置、というのは確かにベストではありません。正面中央、というのは人が自然に視線と想いを向ける方向です。ですから教会建築の歴史では、中央に聖餐卓や聖書を置いてきました。この場合は、しかしそこから議論はできません。中央に設置されたオルガンのケースを伽藍のようにデザインすることによって、会衆の想いが"パイプ"にいかずに落ち着くことができたと思います。

2度目は勤務先の桜美林大学。チャペルを新築するにあたっての新しいパイプオルガンの導入でした。オルガン選定に入る前、チャペルの設計図は既にできていました。幸いなことに、オルガン設置場所の裏にモーターやふいごを設置するための機械室が既に設計されていました(中には、モーターやふいごもオルガンケースの中に一緒に入れる、というこだわりを持つオルガンビルダーもいるかも知れませんが。)。オルガンの設置場所は中央から聖壇に向かって、右斜め前方上方のギャラリー上に設計されていました。右というのは理にかなっています。オーケストラではポジティフオルガンは通層低音グループのチェロ、コントラバスの近くで右側。2階ギャラリーはオ−ケストラからは遠いですが、年に1,2度のそのようなコンサートより、普段の礼拝に優先順位を向けるということ。礼拝以外の大学の催し等をも考慮に入れるならば、ギャラリー後方の"会衆歌唱応援型"設置とすると、用途がある意味限られる。教育機関として絶妙な設置場所だったと言えるかも知れません

3度目は札幌のK教会。K教会は長年パイプオルガンへのビジョンを語り、祈り、捧げて来られた教会です。会堂の設計とオルガンを並行して行うことができました。ですから、オルガン設置場所も、議論の上で会堂を設計した訳です。パイプオルガンは正面に向かって後方の2階ギャラリー中央の後ろの壁に設置されました。前か後ろか、ビジョンの優先順位によって考えることができます。少し単純化過ぎるかも知れませんが、宣教→コンサート→パイプオルガン前方設置、礼拝→会衆歌唱伴奏→パイプオルガン後方ギャラリー上など。勿論その双方を上手にコーディネートする教会設計もあり得ると思います。

実際的、物理的な要件の話ではあります。しかしだからこそ、ビジョンを語り共有するプロセスを経ることは重要です。大きなビジョン(礼拝、宣教etc)を見据えつつ、具体的ビジョン(会衆歌唱、演奏レパートリー規模)を語り、それを礼拝堂という空間とすり合わせていく。会堂建築と並行して進めることができるとすればそれはベスト。礼拝堂は現状という条件下でならそのように。しかし老朽化した(?)壁素材などと、一部調整できる余地もあったりして。

それぞれの特有の条件下であっても、「礼拝堂とオルガン」を"3次元の目"で考えられると次のステップが見えてくるかも知れません。

でも、具体的な話になればなるほど、大きなビジョンの中のどこに自分達がいるかを確認しつつ進めるように。

かんとーる@うえき
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2012年06月29日

久しぶりに

ブログ少し間が空いてしました。教会音楽な毎日を送っている私なのですが、教会音楽するためのその周りの営みが少々忙しかったという感じでしょうか。でも、それも教会音楽の内ですね。

少々書き込みできなかった間の“教会音楽”な二つの出来事をご報告をします。

桜美林大学のオラトリオプロジェクト2012、私にとって“久しぶりのバッハ”には、55名ほどの合唱参加者が集いました。6/15(金)の初練習は「主の人の望みの喜びよ」コラールではなく、カンタータ147番の冒頭合唱で練習開始!「古典派を歌うのとは違いますよ。心して取り組みましょう!」モードで開始です。これから5か月間、合唱参加者の皆さんと楽しみ、苦しみ(?) ながら、いややはり喜んで!取り組んでいきます。

6/18(月)は、福音讃美歌協会の年次総会でした。私は所属教派、日本福音キリスト教会連合の代議員として出席しました。総会が行われるのは毎年、7月の平日。ここ数年出席できませんでしたが、久しぶりの出席です。福音讃美歌協会が発足した頃のことを想い感慨深かったです。発足前、日本福音キリスト教会連合内で、かなり議論・意見交換をしたのを思いおこします。当時、私は朝顔教会の音楽主事で、各地区の教職者会に赴いては牧師先生方と喧々諤々話しこみました。「加盟教会の礼拝観・伝統が異なるのだから、讃美歌集をつくるのは難しい・・」「でも、それは礼拝の責任放棄にならないか・・」。際どいやりとりがあったことも思いおこしますが、今思うとそれも必要なプロセスだったな、と思います。「教会福音讃美歌」は一か月後、7月下旬に発行です。次はこの歌集を教会の現場が使っていく時です。協会立ち上げに関わった者の一人として感慨深いものがありますが、これからこの讃美歌集を使っていくということは、既にそれを見直していくプロセスが始まるということですね。「教会福音讃美歌」を手に取られたら、どうぞご感想、ご意見、ご質問、ご批判等、お声をお寄せ下さい。まもなくキリスト教書店に並びます。

かんとーる@うえき
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2012年06月14日

いよいよバッハ

バッハ(J.S.Bach)を話題にするのは初めてです。ドイツで教会音楽を学んだ者ですので、当然バッハには数えきれない程の想いと言葉が私にもあります。指揮者として指揮台に立つ時、やはり自分は「バッハが一番しっくり来るな」とも感じます。2000年にドイツから帰国して以降、演奏会等で指揮をした楽曲としても、バッハはよく取り上げました。前回「自分が指揮をしたバッハは?」と思い調べてみたのですが、これが結構前の2008年の5月で、演奏した曲はモテット「来たれ、イエスよ、来たれ」(BWV229)と、カンタータ70番 「目を覚まして祈れ」、カンタータ93番 「ただ愛する神にすべてを委ね」でした。自分でもこんなに何年もバッハを演奏会で振っていなかったとは少々驚きでした(歌ったり、弾いたりはしていますけど)。

という訳で、以外にも久しぶりに今年、バッハのプログラムに取り組むのです。カンタータ147番「心と口と行いと生活を持て」と、マニフィカート ニ長調(BWV243)、合唱練習は明日6/15(金)開始。桜美林大学で毎年5か月間の時限プロジェクトとして行っているオラトリオプロジェク2012で取り上げます。この2曲を取り上げたのは、今回“マリア”をテーマとしたためです。前者はエリサベツ訪問の祝日のための曲、コラール「主よ人の望みの喜びよ」が挿入されている曲として知られていますね。後者は、ルカの福音書1:46-55のマリアの賛歌がテキストです。

書いた後で注釈する、のが最近の癖のようになっているようで恐縮なのですが。。。さりげなく“久しぶりに”取り組む、と書いたのはその通りなのですが、どこかで自分の中に“いよいよバッハ”という想いがあるのも事実なのです。これまで3年間、このプロジェクトでは意識的に古典派を取り上げてきました。ハイドン:大オルガンミサ曲、モーツァルト:レクイエム、ハイドン:オラトリオ「天地創造」と積み上げてきました。合唱がゼロからのスタート、響きを醸成していくことも念頭に珠玉の名曲に取り組み、その奥深さに出会っていく、楽曲の難易度アップは合唱の響きの醸成と両輪でもあります。3年目のオラトリオ作品「天地創造」で古典派作品への取り組みを一つの節目とし、その次の年はバロック時代の作品から取り上げようと考えていました。“いよいよバッハ”というのは、バッハを演奏するのに、合唱に3年間という時間が必要だった(時限プロジェクトですが一定の積み上げができてきました)こととあわせ、プロテスタント礼拝という文脈での音楽について造詣を深め、実際の演奏を通じその意義に出会っていきたいという想いからでした。

今後このブログで時折、作品について、練習の様子、バッハの様子(!)等、レポートしていくつもりです。

今日、大学の研究所の研究会で、同僚の先生が「母なるもの」というアプローチの発題をして下さいました。マニフィカートに関連する内容です。そこでリラ・プレカリアというミニストリーから次のような言葉を引用し紹介して下さいました。

  バッハは神の言葉を与えてくれた、
  モーツァルトは神の笑いを与えてくれた、
  ベートーベンは神の熱情を与えてくれた、
  神は音楽を与えてくれた、わたしたちが言葉なしで祈れるように(作者不詳)。

私が日常関わり接する音楽、自分にとって使命であり仕事でもある中で、時には理詰めになっていなかったかな、とふと思いました。これは一つの主観的な表現だとも思いますが、神の賜物としての音楽を感謝を持って率直に言い表していると思います。表現が妥当かどうかは別にしても、神の賜物としての音楽を感謝し喜ぶあり方を、今一度自分に語られたように読みました。

バッハが与えてくれた神の言葉としての音楽を、今に生き、歌う者と聴く者に語られるものとして、これから5か月間感謝し喜びながら向き合っていきたいと思います。

最後にご案内。。。まだ参加申込受付中です。高校生以上ならどなたでも。こちら→桜美林大学オラトリオプロジェク2012へどうぞ。

かんとーる@うえき
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2012年06月07日

楽器を育てる

「教会と楽器」と言われて、思い浮かべる楽器は何でしょうか? それぞれの立ち位置、各教会のビジョンによって様々だと思います。

「礼拝にとってふさわしい楽器」という問は、礼拝と音楽に向き合うことにおいて至極当然のテーマの一つですが、何が「ふさわしいか」というアプローチが先に来てしまうと、その問いかけそのものが妥当なのかどうかは後回しに「ふさわしい楽器は何だろう・・」という規定路線に乗ってしまい、さてどう考えたら良いのか空回りしてしまったりもするかも知れません。

ことは「礼拝にとってふさわしい楽器」を聞いている訳です。とすると、その前提の「礼拝」をどう理解するかによって「ふさわしい楽器は」変わる、という当たり前のことに気づきます。ということは、やはりこの問を問うということは、まず、その前提であり展開である「礼拝」を問うことから始まるということになるのでしょう。当たり前の国語の勉強のようですね(^^;; 

でも結構この当たり前のことが脇におかれ、楽器というある意味「現実的な課題」は教会の状況によって様々である筈なのに、礼拝を問うことはせず、もっともな議論を展開しているようで、実は主張したい楽器のため、人それぞれが脳裏に「ふさわしい」と思っている「楽器」を主張したり、ということにもあったりするのではないかと思います。

私は「教会と楽器」を考える出発点は「今、教会に与えられている楽器」。そしてそれを「教会の目的に沿って用い、育てていく」視線だと思っています。

パイプオルガンも元々教会の楽器ではありませんでした。教会での設置もキリスト教的動機ではなかったようです。7世紀、ビザンチン宮廷で皇帝の入退場に移動式のオルガンが奏されたという記録。8世紀にドイツ宮廷で皇帝の入場行進に受け継がれます。皇帝が市中の教会を訪れるような機会にも同様に、オルガンによる入退場の音楽が奏される。この習慣が、同じ教会堂で司祭がミサに“入退場”する際にも受け継がれていく。10世紀頃には移動式ではなく教会堂に設置された大オルガンが登場します。そのように習慣が受け継がれ、礼拝の前奏と後奏という音楽が定着した訳です。元々「移動式の楽器」だった、ということは屋内でどう響くか考えられてはいなかったでしょう。その証拠に教会堂に持ち込まれた当初「その粗雑な音に人々は耳をふさいだ」という記録がある位ですから。

パイプオルガンの話がここで終わり?だとしっくりしませんね。今一度「今、教会に与えられている楽器」が出発点、というのは私の嘘偽りないスタンス。そこに立ちつつパイプオルガンについては一言言わなければなりません。普遍的に客観的に「ふさわしい楽器」な訳はないですね。でも、注目すべきなのは「教会が、礼拝とその場にふさわしく育て、整えてきた楽器」の代表例、と言うことはできるでしょう。もっと積極的に言うならば、結果的に、そしておそらく摂理的に「教会が育てた楽器」となったと言えるでしょう。

「教会にとってパイプオルガンはふさわしい楽器か?」と問われる時、私はその問に真正面からは答えず、その歴史的経緯と個人的な想いも込めて、「なかなか良い楽器」と答えることにしています。

そのニュアンスを汲み取って頂けると「教会と楽器」について考える助けになるかと思います。「今、与えられている楽器」が出発点、しかしそこで留まらず「最良の捧げもの」としての「讃美」のため、「楽器」を「礼拝」という行為と場とにおいて育てていく、と言う視点。。

かんとーる@うえき
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2012年05月27日

安部正義。。。

週の半ばに書こうと思いつつ、一週間が過ぎてしまいました。私はこの週末、キリスト教礼拝音楽学会の大会のため福岡にいました。

大会ではいくつかのテーマが扱われましたが、シンポジウムは「安部正義のオラトリオ『ヨブ』」についてで、とても興味深い発表でした。日本人による日本語の最初のオラトリオです。安部正義の曲で一番身近だと思われるのは、おそらく由木康作詞よる讃美歌「まぶねの中に」の作曲者としてでしょう。1891年生、1974年召天。その時代を思うと、このようなオラトリオが日本で存在していたということそのものが驚きでした。作曲が1931年〜1945年という期間ですから、どのような激動の時代だったかおわかりでしょう。

作風はメンデルスゾーン風、「まぶねの中に」のテーマも現れます。基本、礼拝という枠での使用を想定したものではないオラトリオですが、このオラトリオの礼拝における使用案の試みも発表されました。。。

と言う訳で、今日は携帯端末から短い出張報告(!?)で失礼致します。

新しい週が始ります。どこかで植木と接点のある方々には“時の話題”が、そろそろ出てきそうです。
「教会福音讃美歌」、そして「桜美林大学オラトリオプロジェクト2012」、、。

近々、それらへのビジョンと想いを綴っていきたいと思います。

かんとーる@うえき
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2012年05月20日

リニューアル裏話

Hp&Blogのリニューアル裏話。

実はリニューアル以降、少しづつ手を入れてきました。まずはある日突然“PROFILE”が増え、メニュー4つだったものを5つにしました。今日は朝の時点では「聖書の言葉」は“ABOUT”の下部に、それを夕方に“Blog”右上へ移動で落ち着きました。

ブログの記事はかなり書き下ろし的に投稿しているので、さりげなく次の日に日本語の掃除したりしています。“EVENT”の日時に曜日を入れました。曜日がないとイメージがわきません。。。あんどなどです。

何かお気づきのことありましたら、お知らせ下さい。改善できるものから手を入れようと思います。でも基本、中身だと思うので、あまり懲ろうとは考えていません。「教会音楽」に関わる課題について、現場と共有していきたい、というのが趣旨ですので。

一つ、自分がこのHpで気に入っていることがありますが、それは教会の写真です。これ小さな教会の模型を写真で取ったものです。何年も前から、いつかHPをリニューアルする時は、教会の写真をクリックしてHPに入るTOPページをイメージしていました。なかなか私のイメージに合う写真がなかったのですが、今回見つけたのです。

この教会の写真、私のお気に入りです。「教会音楽」を考えると言っても、教会の現場には、様々な幅の違う課題があると思います。ドレスデンのように歴史と伝統にずっしり立っている教会もあれば、数人で礼拝を守る伝道所もある。私も高校生の頃、自分の教会の伝道所がアパートの一室を借りて始めた礼拝で、奏楽の奉仕をしました。この小さな教会はある意味私の原点でもあるのです。

「2人でも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
(聖書:マタイ18:18)

かんとーる@うえき
posted by かんとーる@うえき at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年05月12日

書き始めに

この数日間も色々と“教会音楽”していました。私の仕事であり日常ですから当然ですが、初書き込みしようと思いつつ週末になってしまいました。私は日常的に色々な“モード”で教会音楽に関わっています。ブログ書き込みを始めるに際し、今回は私の色々な“モード”をご紹介しておきます。

「大学の教育・研究そしてキリスト教活動に携わる教員」、同時に「一教会音楽家としての活動」。言ってみれば、それらは前者から後者への“→”であり、“←”でもあり、同時に“⇔”であるわけです。その上で個々の課題との関わりや、学内外、所属教派内外等で、「教会音楽」への取り組みは様々な“モード”での関わりとなります。大学授業モード、個人研究モード、所属教派モード、広くプロテスタント教会モード、はたまた演奏家モ−ドなどなど。。私と言う人間は一人ですが様々な役割やファンクション、または責任があるということです。

大学における教育・研究として教会音楽に取り組むことができることは大きな喜びであり同時に責任です。到達点としての「音楽」ではなく、それを貫きその「精神」を見ること。そう意識しつつ教育に携わっています。教会主体の営みにおいては、福音讃美歌協会讃美歌委員として働きが私が公に責任を負っているものです。同時に私は自分の所属教派以外の「教会音楽」の働き等にも協力すべきことに関わっていきます。「私が遣わされている教会」と「キリスト教会」の理解に基づいています。

また「教会音楽」への取り組みは、当然「研究」に他なりません。時には現場の課題から敢えて離れ、個々の課題のリサーチを深めていくことも必要です。そしてもう一つは当然、歌うこと。演奏されなければいけません。「神に歌う」ことのために全ての取り組みがあるとも言えるののですから。

ブログでは、これらの諸々の“モード”をカテゴリー・キーワードにしていこうかと考えています。日記、授業から、教会で、雑感、、今のところそんなカテゴリー分けをしてみましたが、今後更にカテゴリーを増やすかも知れません。言葉にはそれが落ちる文脈があります。それを自分自身の整理整頓(!)のため、読まれる方にも分かりやすいブログとしたいからです。

かんとーる@うえき
posted by かんとーる@うえき at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年05月09日

リニューアル

何年も休止状態にあったカントールハウスをこの度リニューアル致しました。

TOPページに書かせて頂いた通り、このHP&Blogでは「教会音楽」にまつわる様々な課題について、私自身が日頃考え取り組んでいること等を綴りつつ、継続研修・セミナー等の関連情報などを発信していきます

私のアプローチの軸足は、「教会音楽」における「会衆の営み」です。自らの考えや疑問など書き綴ると思いますが、「教会音楽」の「主語」が「教会」であることを覚えつつ、自分一人で「教会音楽」を握り締めることのないようにとも思います。「教会音楽」に関するアプローチの違い、強調点の違い、立場の違い等に敬意を持ちつつ考えていきたいと思います。

それから、、、心にゆとりを持って、フレキシブルさも持っていたいですね。
音楽するわけですから。。

ブログは不定期で更新します。
ブログはTwitterとリンクしています。
ブログが更新されるとtweetします。
(Twitter ID: kantor_jp)

かんとーる@うえき
posted by かんとーる@うえき at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記